昨年の11月11日、京都競馬場でエリザベス女王杯が行われた当日のことです。
第6レースでヨメがいつも声援を送っている幸英明ジョッキーがレース中に先を走っていた馬の事故に巻き込まれたのです。
多重の転倒事故となって全治半年の重傷になったのです。
その幸騎手が、全治半年のところを3ヵ月足らずでレースに復帰したのです!!
もちろん、復帰当日に競馬場まで駆け付けたのは言うまでもないのです。
まして、その日に勝利をおさめたのです!
この日を待ちに待っていたファンに、幸騎手も笑顔でサインをされていました。
サインをもらえなかったファンのために、騎乗のない時間にウィナーズサークル脇に来て、
全員にサインをするという神対応ぶりでした。
もちろん、ヨメも前々から「これにサインしてもらう!」と決めていた、真っ赤なバインダーに
「2019.2.2」と復帰の日付入りのサインをもらっていました。
サインをいただいた直後、ヨメはよろよろと数歩歩いた後、腰を抜かしてしまったのです!
ヨメは医療従事者なのでケガがどんな状況か分かるのです!
右肘開放性粉砕脱臼骨折
これが幸騎手の怪我の状態です。
右肘の骨が粉々に砕けて、その骨が皮膚をつきやぶって外からみえている、という状態です。
リハビリ
その日から、ヨメは職場のPT,OTにどんなリハビリをするのか、よくなるのか、騎手として復帰できるのかと聞きまくっていたようです。
看護師なので、その症状から考えられる痛みや辛さなどは痛いほどわかるので辛かったようです。
復帰のニュースが出始めたころに、ヨメはトレセンの方から、午前3時間、午後4時間の強靭な意思を持ってリハビリに臨んだという事実を聞いたのです。
リハビリを担当されたPTも幸騎手の熱い思いに打たれて、ずっとリハビリに付き合っていたのです。
この素晴らしいアスリートは、一般の人間とは違うということを無言のうちに伝えてくれたように思っています。
JRAの対応
JRAはレース当日には必ずドクターをはじめとする医療従事者を待機させています。
どこの競馬場でも、「まずあそこに運ばれる」という病院があり、もしもの事態に備えているのです。
当日、事故直後、3名の騎手が倒れていました。
すぐに駆けつけたスタッフは、騎手の状態をみて順番に救急車に収容したと予想されます。
その後、搬送用の救急車で病院に搬送されたのはいうまでもありません。
幸騎手の怪我を最初に診た医師には「手の施しようがありません」と言われたそうです。
実際に手術を受けた病院でも「開けてみないと(骨の様子を診てみないと)わからない」と言われたそうです。
11月13日に手術を受け、「思った以上にうまくいった」と執刀医に言われたと聞きました。
手術の前から、そして手術直後も指先はしっかり動いていたようで、それはヨメにとって一番の明るいニュースだったと思います。
その後、スポーツ・リハビリで実績のある左京区の下鴨病院でリハビリを受けられたそうです。
結果として3名の騎手は、全員無事に治療が終わり、現場復帰が実現したのです。
その中、最後までリハビリに励んでいたのが幸騎手だったのです!
祈りと願いがかなった日
当日は、生まれて初めての『開門ダッシュ』まで!
上の写真は第1レース、パドックで騎乗直後の幸騎手です!
あちこちからたくさんの温かい声援が送られていました。
ヨメの目には熱いものが。。。
★20秒あたりからは号泣です!!!
その後の神対応!
その日に騎乗した4つ目の 第8レースで見事『カムカム号』で勝利!
興奮のあまり、撮影どころでない自分です!
レース直後の表彰式の後で 神対応 のサイン会!
応援していた人、人、人でいっぱいです!
実は、この人垣の最前列にヨメがいるのです!
しばらくすると、ヨメがよろよろと人垣から這い出てきました。
サインをもらうことができて、感無量で「良かった~!」と叫んでいます。
「あ~」と言ったかと思うとへたりと座って
『腰抜けた~!』と言って動けなくなりました!!!
後にも先にも「腰が抜けた」というのはこれが初めてで「腰が動かなかった」と本人が言っておりました。
馬も人も無事が一番です!
ボクはヨメと一緒になってから、車の運転を安全に気を付けてするようになりました。
安全に出かけて行って、安全に帰ってくるということが家族にとって一番大切なんだ、と考えるようになったからです。
乗馬もそうです。
そういえば、前にこんなことを書いていたんですね。
幸英明騎手についてはこんな記述も!
とにかく
安全に行って帰ってくること!
それがいつも楽しくできるようになれると最高ですね!
馬はいつも正直です。
いつもたくさんのことを教えてくれます。
騎乗するときは、いつも真剣に安全にしたいと改めて思っています。
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